華厳の滝の迫力に圧倒されまくりです!
- 華厳の滝は栃木県日光市にある滝で発見者は勝道上人と伝えられ仏教経典の1つである華厳経から名づけられたと言われています・・・男体山の噴火によってせき止められた中禅寺湖から地表を流れる唯一の流出口である大谷川にある落差97mの滝です・・・滝から落ちる水の量は毎秒平均3tと言われ多いときは55t少ないときは0.3t以下になることもありますが一気に流れ落ちるその様子は迫力満点で日本三名瀑のひとつにも数えられています・・・1986年に滝口の一部が崩落したため観光に配慮して外から見えないよう危険な崩落の進行を防止する補強工事がされているそうです・・・何処を補強してるのか確かにわからないですね。
- 滝付近の大谷川北岸には観光客向けの有料の華厳滝エレベーターが設置されておりエレベーターで降りた観瀑台からは滝壷を正面間近に見ることができます・・・またエレベーターの駐車場がある渓谷北岸から見下ろす位置にも観瀑台が設けられています・・・また他に第二いろは坂の中腹から明知平ロープウエイが通じている明知平からも眺めることができます・・・やや遠方にある明智平の展望台からは中禅寺湖や男体山を滝と共に一望することができる場所です・・・私はまだ見たことはないのですが遠景も良さそうですね・・・ちなみに日本で一番落差のある滝は富山県立山町にある「称名滝」だそうです・・・ 称名滝は4段に分かれて落ちる「段瀑」(一段目70m・二段目58m・三段目96m・四段目126m)で総落差は350mの滝です・・・ 華厳滝が落差97mで那智の滝が公称落差133mとなっています。
華厳ノ滝|観光スポット|日光旅ナビ (nikko-kankou.org)
日光東照宮! 華麗さと荘厳さでまさにお見事!
- 日光東照宮は1617年に江戸幕府を開いた徳川家康の遺言により創建された徳川家康を祀る神社です・・・境内には55棟の建築物があってそのうち8棟が国宝に指定されており34棟が重要文化財に指定されています・・・江戸時代初期に建造され漆塗りや彫刻など当時の名工の技術を間近に見られる貴重な場所で日光市にある世界遺産登録の神社です・・・家康は晩年に駿河に住んでいましたが「死後一周忌を過ぎたら日光山に祀りなさい」と言い残しました・・・日光山は江戸の真北にあることから自らが動かない北極星のような存在となり国を見守ろうとしたのではないかと考えられています・・・2代将軍の秀忠は遺言通り日光山に簡素な神社を建てましたが後に3代将軍の家光が約2年に及ぶ大工事を行い現在のような豪華な神社に造り替え・・・家光は死後も祖父に仕えるため東照宮の隣に自分の墓を建てさせたそうです・・・東照宮の入り口がこの石鳥居で聖域の入り口を表しています。
- 鳥居をくぐると左手に見えるのが五重塔で仏陀の遺骨を納める場所として建てられたものですが赤い色が生えてとても美しく高さもあるためか迫力ある塔です・・・五重塔には十二支が彫刻され1面につき3体飾られており4面で12体すべての動物が存在します・・・五重塔の正面には寅・ 卯・ 辰の彫刻がありこれは家康とその子孫の干支だとされています・・・ちなみに家康の干支は寅で家康の子秀忠の干支は卯そして家康の孫家光の干支は辰です。
- 無料で入れる区域はここまでで東照宮の正面入口にあたる表門付近で拝観料を支払いさらに中へと進みます・・・日本の寺院では定番の外敵から寺院を守る守護神である2体の仁王像の間を通り抜け進みます・・・仁王像は一般的に二体一組で配置されておりどちらも仁王像なのですが左右それぞれの仁王像に別々の名前がついています・・・向かって右側の仁王像が阿形像で向かって左側の仁王像が吽形像という名前です・・・これは「阿吽の呼吸」の阿吽から来ています。
- ちなみに「阿」には「物事の始まり」という意味があり阿形像は口を開けて「物事の始まり」を表現しております・・・「吽」には「物事の終わり」という意味があり吽形像は口を閉じて「物事の終わり」を表現しています・・・ただしこの左右の配置は絶対的なものではないそうで阿形像と吽形像が左右どちらに配置されるかについては時代によって違いがあるそうです・・・私としては統一して欲しいものです。
- ですから阿形像と吽形像を見分けるには口の形を元に確認される方がより確実です・・・それから仁王像は上半身むき出しのマッチョな姿で睨みをきかせているものが多いのですがこれも絶対ではないそうです・・・古い時代の仁王像には上半身裸ではなく甲冑を身に着けている仁王像もあるようです・・・仁王像はお寺の門のところに配置されていることが多いのですが仁王像が仏法の守護者として仏教を害するものを締め出すという大切な役割があるからです・・・仁王像には門番としての働きがあり魔よけの意味があるとされている神社の狛犬と似た役割と言えます。
- 三猿も日光東照宮では有名ですが神厩舎に施された彫刻の一部で3匹の猿がそれぞれ目・耳・口を両手で覆い隠す「見ざる・聞かざる・言わざる」のポーズはよく知られています・・・三猿の彫刻は影響を受けやすい幼年期の時期に悪いことを「見たり聞いたり言ったり」して不確かなうわさに惑わされないようにとの教訓が込められています・・・神厩舎は神に仕える「神馬」を飼育する建物で猿は馬を病気から守る動物とされており神厩舎では三猿を含め全部で16匹の猿が大切な馬を見守っています・・・16匹の猿のポーズはそれぞれ「人間の一生」を表しており神厩舎を一周すると年代別の教訓を学べるようになっています。
- 日光東照宮の陽明門は建物全体がおびただしい数の極彩色の彫刻で覆われ金と白のコントラストが印象的なこの陽明門はなんと金箔24万枚を使用しているとのことです・・・有名な京都の金閣寺でも金箔の使用は20万枚であり東照宮の贅沢さや豪華さがわかりますよね・・・一日中見ていても飽きないということから「日暮御門」と称されています・・・中央の額には家康の神名である「東照大権現」の文字が掲げられこの文字は建設当時に在位していた後水尾天皇が記したものです・・・陽明門では人物・動物などの細やかな彫刻はそのほとんどに平和の願いが込められています・・・屋根の上では鬼瓦を筆頭に龍や息・龍馬などの霊獣が邪悪なものを追い払おうと睨みをきかせています・・・ちなみに息とは龍に似た霊獣で龍には髭がありますが息には髭がなく息には牙がありますが龍には牙はありません。
- 日光東照宮の陽明門を守っているのが下の写真の2体の髄身像です・・・髄身とは平安時代以降の武装をした格好の人形を意味し一般的に左大臣・右大臣と呼ばれます・・・この随身像がいったい誰なのかは謎に包まれています・・・桔梗紋が付いていることから明智光秀ではないのかはたまた織田信長ではないのかなどいろいろ説はありますがこれからの研究が楽しみです。
- 陽明門の裏側には煌びやかな狛犬もいます・・・狛犬は獅子に似た日本の獣で想像上の生物とされています・・・神社や寺院の入り口の両脇や本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形または守るべき寺社に背を向けています・・・飛鳥時代に日本に伝わった当初は獅子で左右の姿に差異はなかったそうですが平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになったそうです・・・それにしてもこの狛犬は金ぴかでこんなに豪華な狛犬は他で見たことがないですね。
- 陽明門は外観の装飾に夢中になりがちですが門をくぐる際には天井画にも注目です・・・狩野探幽氏によって描かれた「昇龍」と「降龍」は国宝に指定されております・・・昇龍は別名「八方睨みの龍」降龍は「四方睨みの龍」とも呼ばれています。
- 陽明門から東側に延びる回廊には本殿の奥へ続く門がありますが門の上には「眠り猫」が彫刻されています・・・牡丹の花の下で気持ちよさそうに眠る猫の姿はかわいらしくて必見です・・・穏やかな表情ですね和みます・・・撮り損ねましたが猫の裏側には2羽のスズメが戯れる様子が彫られています・・・スズメにとって猫は天敵ですが猫はすやすやと眠っておりスズメも猫を恐れることなく遊んでいます・・・このため「眠り猫」は強者も弱者もない平和な世の中を表していると考えられています。
- 本殿の裏側に位置する「奥宮」は家康の墓があるエリアです・・・眠り猫がいる回廊の門を通り長い石段を上っていくと到着します・・・なかなか疲れます・・・突き当たりにある金属製の小さな宝塔が家康の墓です・・・宝塔は日光東照宮のパワーの源とされ真横と真後ろには特に強いパワーがあるといわれています・・・塔をぐるりと一周すれば家康の霊力を存分に分けてもらえるとのこと・・・疲れもいっぺんに吹き飛びますね・・・塔の横には樹齢約600年の「叶杉」があり幹の空洞に向かって願いごとを唱えると願いが叶うとして人気です。
- 一般的に獅子・狛犬は向かって右側の獅子像が「阿形」で口を開いており左側の狛犬像が「吽形」で口を閉じ古くは角を持っていた・・・鎌倉時代後期以降になると様式が簡略化されたものが出現しはじめ昭和時代以降に作られた物は左右ともに角が無い物が多く口の開き方以外に外見上の差異がなくなっています・・・これらは本来「獅子」と呼ぶべきものですが今日では両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多いようです・・・下の写真は角無しの阿形獅子像と角あり吽形狛犬像が明確になっています。
唐門は絢爛豪華な極彩色の陽明門とは対照的に貝殻をすりつぶした故粉で塗られた繊細な小さな門になっています・・・611もの唐木寄木細工の両開桟唐戸で屋根の下には寄木細工の昇り竜や降り龍と白と黒を基調とした破風下や長押には中国の聖人賢者の堯、舜、巣父、許由、竹林七賢、 仙人、七福神、花鳥、水鳥が施されています・・・江戸時代には「御目見得」以上の幕臣や大名だけが通ることのできる門となっていました・・・舜帝の顔はあえて家康に似せ家康こそが舜帝に比ひすべき帝王であることさらには徳川幕府が目指すべき政権は舜帝の治世であることを表しています・・・屋根の上には霊獣の恙(唐獅子の一種)が配されています・・・屋根上の左右両端に龍が置かれているのは「龍は昼を守護する霊獣」で「恙は夜を守護する霊獣」という故事からきています。
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